サーチの仕事では、転職を考えていない方とお話しする時間が少なくありません。すぐの転職を前提にせず、数か月から年単位で情報交換を続けていると、コンサルティングファームなどで組織と案件を率いる立場になった方から、ある時期に似た迷いを聞くようになります。評価は高く、次の昇進も見えている。今の会社に不満はない。それでも、昇進した後の仕事をこの先十年続けたいかと聞かれると、答えが出ない。そうした声です。

お話を伺った方々に共通する仕事を、一週間の形に置き直すと、たとえば次のようになります。月曜はパイプラインの会議、火曜は複数の案件の採算とリスクの確認、週の後半は顧客の経営層への提案と、評価や採用の打ち合わせ。自分で分析や設計に手を動かす時間は、以前よりずっと減っています。

困っていることがあるわけではないので、家族に「何か困っているの?」と聞かれても、うまく答えられない。この迷いには、そういう説明しにくさがあります。

問われているのは昇進できるかどうかではなく、昇進後に増えていく仕事へ次の十年を使いたいかどうかなのかもしれません。 そう問いを置き直すと、今の成功を手放さずに検討できる、もう一つの道が見えてきます。

残る理由がどれも合理的だから迷いは説明しにくい

今の場所には、報酬、看板、顧客の経営層と話せる立場、優秀なチーム、そして見えている次の役職があります。残ることは逃げではなく、十分に合理的な選択です。その根拠は「動かない」という選択の合理性でも整理しました。

だからこそ、この迷いは人に説明しにくいものになります。営業や組織の運営が嫌なわけではない。こなす力もある。引っかかるとすれば、昇進できるまま同じ物差しで測られ続けていくことのほうでしょう。

外から支えてきた業界の内側に次の事業をつくる席がある

データやIT、DXの領域で、製造・流通・小売の大企業を支えてきた方は多いはずです。同じ業界には、既に顧客と現場、物流や工場を持ち、事業も伸びているものの、次の成長の形がまだできあがっていない会社があります。上場していない会社やオーナー経営の会社にも、こうした段階の会社があります。

こうした会社では、データやAIで現場を作り替える、既存の顧客に新しいサービスを届ける、買収で次の柱をつくる、といったことが経営の課題そのものです。クライアントのために積み上げてきたSCMやデータ、業務改革の経験が、外からの支援ではなく、自社の次の事業の材料になります。変わるのは、主たる成果の単位です。案件の成功を通じて顧客の事業へ貢献する立場から、一つの事業の投資、組織、実行と、その後の成果を継続して見ていく立場へ移ります。

たとえば、次のような形が考えられます。

  • 小売や流通のSCM改革を支援してきた人が、店舗網や物流網を持つ成長企業で、在庫と配送のデータを使った新しいサービスを立ち上げる
  • 製造業の基幹刷新や工場のデータ活用を率いてきた人が、自社工場を持つ成長企業で、生産と品質のデータを経営の判断に結びつける
  • 複数の企業のDX構想を描いてきた人が、買収した会社の業務とシステムの統合に、事業側の当事者として、統合後の運営まで関わる

いずれも特定の誰かの話ではなく、こうした会社で生まれ得る役割の類型です。もし求めていたのが、事業会社への転職そのものではなく、既にある事業を使って次の事業をつくった人になることだとしたら、探す場所はこうした会社になるのかもしれません。

ただ、どの会社でもよいわけではありません。経営者が人と資金を投じる意思を持っているか、投資の余力があるか、その役割に権限が与えられているか。この三つが揃っていない席は、名前だけの役割になりがちです。

安定には役職が上がる安定と会社を離れても残る安定がある

この段階の方とお話ししていると、迷いの中身は二つの見通しの照らし合わせに整理されていくことが多いと感じます。今の会社にいれば、いつごろ次の役職に就き、報酬はどのくらい上がるのか。そして、組織の中で働ける時間があとどのくらいあるのか。

40代以降、職業人生を中期で見渡すようになると、定年の後に何で生計を立てるのかという問いが、家族との話題にのぼることもあるかもしれません。会社名と役職を外したとき、自分という個人に、成果と、それを別の場所でも再現できる力があるのか。そう考えると、安定という言葉の意味が変わって見えてきます。会社の中で役職と報酬が上がっていく安定と、個人として持ち運べる実績がある安定です。

会社の中で積み上がる安定 会社を離れても残る安定
拠り所 役職、報酬、社内信用 個人の実績、専門性、再現性
測られ方 同じ組織の階段での位置 何をつくり、何を変えたか
蓄積するもの 社内での権限と待遇 会社名を外しても説明できる経験
主な問い 次の役職にいつ上がれるか 別の環境でも同じ成果を生み出せるか

周りを見渡せば、事業会社へ移って「もっと早く動けばよかった」と話す人もいれば、「思ったほど権限がなかった」と話す人もいます。どちらの例もあるからこそ、身近な経験だけでは判断はかえって難しくなります。分かれ目になるのは、移ったかどうかより、何を自分の安定の尺度にして、入る前に何を確かめていたかです。

実際には、最初から転職するかどうかを決める必要はありません。確かめる順番は、たとえば次のようになります。

転職するかを決める前に三つの順で確かめる
  1. 増える仕事を具体にする今の会社で次の役職に進んだら、どんな仕事が増えるのかを書き出してみます
  2. 外の選択肢を確かめる経営者や事業の責任者との面談で、解きたい経営課題、投資の計画、自分に任される権限を確かめます
  3. 自分に残るものを考える報酬の増減だけでなく、仮にうまくいかなかったとしても、その経験を持って次の道を描けるかを考えます

比べるのは会社名ではなく、二つの道を進んだ先に何が自分に残るかです。

生成AIの普及を前提にすると、情報を集め、整理し、資料にする能力だけで、長く差をつけ続けることは難しくなっていくと考えられます。そのとき相対的に重要になるのは、どの課題を選び、何に投資し、人と組織を動かして、どのような事業の成果につなげたかという経験です。

家族に話すときの言葉も、ここから生まれます。たとえば「会社名を外しても残る実績をつくりたい」。言葉は人によって違うはずですが、家族に話すことは、自分がこの選択を理解できているかを一緒に確かめていく過程でもあります。そのとき話題になるのは、転職先の知名度より、なぜそのリスクを取るのか、うまくいかなかったときに次の道を描けるのか、今の生活をどの範囲まで守れるのか、といったことが多いと考えられます。

提示される年収だけでなくその原資と期待を読む

年収が上がるか下がるかに目が向くのは自然なことです。今の暮らしを回せるかどうかは、家族と一緒に、まず確かめておきたい前提でもあります。

そのうえで、もう一つの見方があります。報酬の原資は、事業が生む収益です。新しい事業は、収益がない状態、むしろ投資が先に出ていく状態から始まります。それでも高い報酬を示す会社は、その役割を重く見ているとは言えます。ただ、高い報酬が、採用の難しさへの上乗せや、役割の曖昧さと失敗のリスクへの補償であることもあり、それだけで投資の意思が確かめられるわけではありません。

金額とあわせて確かめておきたいことが三つあります。まず、その事業が置かれた市場が伸びているかどうかです。これは自社では動かせない、外部の条件です。次に、新しい事業が経営計画と予算に入っていて、人員と権限が付いているかを確かめます。三つ目は、自分に課されるKPIが、事業の成果とどうつながっているかです。

新しい取り組みが事業として成り立てば、それに合わせて事業部や責任者の役割が新しく設けられることがあります。先に役職があり、そこへ事業を当てはめるのではなく、育った事業の後から組織と役職ができていく。その形成を担った経験そのものが、次のキャリアの資産になります。この道での成果は、事業をつくった実績です。それを別の場所でも再現できるなら、前の節で触れた、個人として持ち運べる安定につながります。

今の会社で次の役職へ進むことも、同じように合理的で、人に説明できる選択です。どちらを選ぶかを決めるのは、ご本人と、ともに暮らす家族です。多くの方とお話ししていると、その判断は一度の決断というより、何度かの対話を重ねるうちに輪郭がはっきりしていくものだと感じます。