同じ面談が、二通りに記憶される

成長段階のスタートアップとの面談から戻ってきた候補者が、こう言うことがあります。「熱意はよく伝わったのですが、私が聞きたかったことには結局ふれられませんでした」。

同じ面談について、企業側からはこう返ってきます。「良い方でしたが、熱量が伝わらなかった印象です」「カルチャーの面で、少し違うかもしれません」。

サーチの現場では、この双方の言い分を続けて聞くことになります。同じ一時間について、片方は知りたいことが返ってこなかったと言い、もう片方は熱が伝わらなかったと言う。どちらも嘘をついていません。同じ場面が、二通りの記憶として残っているだけです。

この噛み合わなさは、相性の問題として処理されがちです。しかし何度も立ち会っていると、そこには繰り返し現れる構造があるように見えてきます。

企業側は、良かれと思って語っている

まず確認しておきたいのは、この時期のスタートアップが不誠実だということではない、という点です。

面談で語られる「フラットな組織」「意思決定が速い」「裁量が大きい」「成果次第でいくらでも上がれる」は、その企業が実際にそうであることの、正直な報告です。しかもそれは、その企業をここまで成立させてきた実体でもあります。

創業間もない時期、ブランドも実績もない状態で、それでも優秀な人が集まってきた。集まった理由は待遇でも安定でもなく、まさにそのフラットさ、速さ、余白の大きさでした。だから経営者は、それを自社の最も魅力的な部分として語ります。過去に実際に効いた言葉を、誠実に繰り返しているわけです。

ねじれが生まれるのは、その言葉が届く相手が変わったときです。

キャズム理論の考え方を借りると

新しい製品が市場に広がる過程を、受け入れる側の性質で段階に分ける枠組みがあります。最初に飛びつくイノベーター、それに続くアーリーアダプター、大勢が動き始めてから動くアーリーマジョリティ、さらに遅れて動くレイトマジョリティ、という区分です。そしてアーリーアダプターとアーリーマジョリティのあいだには断絶があり、そこを越えられずに消えていく製品が多い——キャズム理論と呼ばれる考え方です。

これは本来、顧客について語られる枠組みです。しかし人材の側にも、同じ構造が働いているように見えます。ここで理論を厳密に当てはめて人を分類したいわけではありません。実際には、大企業出身でも極端にリスクを取る人もいれば、起業経験者でも安定を選ぶ人もいます。あくまで、面談で何が起きているかを見るための補助線として借ります。

シード期に参画した人たちは、この区分でいえばイノベーターやアーリーアダプターにあたります。彼らは意思決定において不確実性を大きく割り引きません。証拠がまだ存在しないという状態を、障壁ではなく機会として読みます。成功する保証がないことは、この層にとって減点要素ではなく、他の人がまだ来ていないことの説明でしかない。

そう捉えると、初期のスタートアップで起きていたのは創業者が魅力で人を集めたというより、同質な判断様式を持つ者どうしが自然に惹かれ合って合流したという記述に近くなります。「面白そう」「ビジョンに共感した」「この人とやりたい」——言い方は違っても、判断の様式は共通しています。

この同質性は強い資産です。言語化されていない前提が共有されているため、意思疎通の費用が低い。誰が上司で誰が部下かを整理しなくても、阿吽の呼吸で事業が進みます。

問題は、事業が立ち上がった後に起きます。もっとも、規模の拡大に伴って組織化することが唯一の正解というわけではなく、小さく精鋭を保つ選択もあります。ただ、社外への約束が個人の裁量を超える規模になると、特定の個人に依存した進め方が続けられなくなる。業務の標準化、権限と責任の設計、報告経路の整備が事業継続の要件になります。いわば集団を組織にする必要が出てくる。サーチの現場でも、この時期の依頼は特徴的で、エンタープライズの作法を知っていて集団を組織に変えられる人が欲しい、という趣旨のオーダーが集中します。

つまり企業は、それまで自然には集まってこなかったアーリーマジョリティ以降の層を、初めて採りにいくことになります。熱量や空気が、キャリアの意思決定における最優先の変数ではない人たちです。

同じ言葉が、逆の符号で届く

ここで、それまで有効だった訴求が反転します。

語る側の意図 受け取る側の解釈
フラットな組織 役割と責任範囲が定義されていない
意思決定が速い 決裁のプロセスが存在しない
成果次第でいくらでも上がれる 何も約束されていない
裁量が大きい 何でも屋として使われる

同じ属性が、層によって価値の符号を変えます。語る側に悪気はありません。むしろ自社の最も誇らしい部分を差し出しています。しかしそれが、何も整備されておらず何も約束されていない危なっかしい話として受け取られる。

熱を込めて「一緒にやりたい、ぜひ飛び込んできてほしい」と語られるほど、受け手の側では歩兵として使われるだけではないかという懸念が強まります。冒頭の「熱意は伝わったが、聞きたいことにはふれられなかった」は、この状態を候補者の言葉にしたものです。

ただし、ここで注意しておきたいことがあります。ここまでは誠実に語っているのに反転して届くという整理をしてきましたが、そうではない場合もあります。役割定義を考えたことがないこと、権限設計が存在しないこと、経営者が自分の価値観を絶対視していること——単なる未整備が、理念として語られているケースは実際に存在します。

「フラットな組織です」という同じ一言が、意思決定に無駄がないという意味のこともあれば、役割がまだ決まっていないという意味のことも、そしてすべてが経営者の判断ひとつで決まるという意味のこともあります。この三つは、面談の場では同じ言葉として発せられます。候補者にとっての実務的な課題は、どれなのかを見分けることです。

面接をしているのは、イノベーター・アーリーアダプターである

もうひとつ、見落とされやすい点があります。

企業がこの構造に気づき、採用要件を書き直すことは可能です。要件定義を作り替え、評価項目を並べ替えるのは、作業としては難しくありません。しかし面接の場で最終的に働いているのは、面接官自身の判断様式です。

そして、その席に座っているのは、多くの場合、初期に自然と惹かれ合って集まったイノベーターやアーリーアダプターの当人たちです。彼らにとって、可能性で動く人はわかる相手であり、証拠を求める人は熱がない相手に見える。基準は書き換えられても、基準を運用する人の感覚は書き換えられません。

「カルチャーが合わない気がした」という見送りの理由は、それ自体は正直な感想です。ただ、その感想が向けられている相手は、まさにその企業が今の段階で必要としている層かもしれない。同質性で成立してきた組織が異質性を取り込もうとするとき、その入口に立っているのは同質性の側の人である——この構造が、面談の噛み合わなさの背景にあるように見えます。

企業側も、うまくいっていないことは自覚しています。ただ原因が知名度の不足や発信の不十分さとして解釈されることが多く、語る内容ではなく語る量の問題として扱われがちです。

候補者の側から、何が読めるか

ここまでは企業の中で起きていることですが、面談を受ける側にとっては、いくつか実務的な含意があります。

第一に、翻訳を相手に期待しないという前提です。企業側は、自分の言葉が反転して届いていることに気づいていない場合があります。フラットですと言われたとき、それが役割未定義の意味なのか意思決定に無駄がないという意味なのかは、聞かなければわかりません。相手が説明を尽くしていないのではなく、説明が必要だと思っていない、という状態です。

第二に、整備されていないという状態の読み替えです。何も無いことは欠落として受け取られがちですが、採用の背景を踏まえると、それは整備する人を求めているという意味である可能性があります。仕組みが無くて困っているのではなく、仕組みを作れる人を採ろうとしている。その役割で声がかかっているのであれば、整備されていないことは前提であって、欠点ではありません。

ただし、前向きに解釈して終わらせると入社後に齟齬が残ります。確かめる作業を、選考プロセスの中に置いておくことが有効だと考えられます。

何を築くことが期待されているのか。その範囲はどこまでか。決裁の仕組みそのものを変える権限があるのか、それとも現行の進め方の中で成果を出すことが求められているのか。既存メンバーとの関係をどう設計する想定か。標準化を進めれば必ず摩擦が起きますが、その摩擦を経営はどこまで織り込んでいるのか。

これらは相手を試す質問ではなく、期待値をすり合わせる作業です。そして、返ってくる答えの質そのものが情報になります。

見分けたいのは、先の三つの区別です。すでに整理されているのか、まだ言語化していないのか、考えたことがないのか。

整理されていれば、答えは具体的に返ってきます。範囲、権限、想定される摩擦まで含めて話が進みます。言語化されていないだけの場合は、答えは曖昧でも問いの意味は通じます。「そこは一緒に決めていきたい」「まだ固まっていないので議論したい」といった応答になり、こちらの関心事が理解されていることは伝わる。

考えたことがない場合は、問いそのものが噛み合いません。役割の範囲を尋ねているのに情熱の話が返ってくる、権限を尋ねているのに信頼の話が返ってくる。悪意ではなく、その問いが必要だと思われていないためです。

前の二つであれば、整備されていないことは築く余地として読めます。三つ目の場合、入社後に整備しようとする試みは、経営者の判断そのものと衝突する可能性があります。同じ何もないでも、前提が違います。

自分がどの段階に効く人間か

最後に、この構造にはもうひとつの含意があります。

集団を組織に変える段階では、既存のメンバーが離れていくことがあります。標準化と役割定義は事業継続の要件である一方、初期メンバーにとっては自分たちを成立させていた前提の否定として映り得るからです。替えがきくようにするという方針は、替えがきかないことを価値としてきた人にとって、居場所の再定義を意味します。

この離脱は、必ずしも不満や対立の結果ではありません。自分が最も価値を発揮できる段階が終わったことを、正確に認識した結果であることも多いように見えます。

だとすれば、入る側にとっても同じ問いが立ちます。自分は、何も無い状態を作り出す局面に効く人間なのか。それを仕組みに変える局面に効く人間なのか。あるいは、仕組みが回り始めてから精度を上げる局面なのか。

これらは優劣ではなく、判断様式の違いです。証拠を求めることは慎重さであって臆病さではありませんし、証拠のない状態を好むことは勇敢さであって無謀さとは限りません。

面談で熱量が語られたか、計画が語られたか。それは企業が自らをどの段階だと認識しているかの表れであり、そこに自分の様式が噛み合うかどうかは、待遇の条件とは別に確かめておける論点だと考えられます。

なお、ここで述べた見方には留保もあります。人を層に分けて語ることは、個人の中にある多様さを単純化しています。同じ人でも領域によって不確実性の受け止め方は変わりますし、家族の状況によっても変化します。層は固定的な属性というより、そのときの状態として捉える方が実態に近いように思われます。