退職金は「後払い給与」である

退職金と企業年金は、現役期の給与とは独立した制度として扱われることが多く、日々のキャリア判断の中ではあまり議論されません。しかしサーチの現場で観察する限り、この二つの制度が40代以降のキャリアの可動性に与えている影響は、本人が自覚する以上に大きなものになっています。

退職金は経済学的には「後払い給与」です。現役期の給与の一部が将来の一時金として繰り延べられ、一定の在籍期間を満たした時点で支給される——この構造は、候補者が現役期を通じて会社に留まるインセンティブとして機能することが意図されてきました。企業年金も同様に、長期在籍者に対する後払い的な報酬として設計されています。

この設計は、終身雇用が機能していた時代には会社側と従業員側の双方にとって合理的でした。しかし前提条件が変化した結果、制度が意図しない方向で意思決定に影響を与えるようになっています。

制度の「静かな変化」が意味すること

この10〜20年、日本の大企業の退職金・企業年金制度には、表面には出にくい形で大きな変化が起きています。確定給付型から確定拠出型への移行、ポイント制の導入、算定基準となる給与の定義変更——これらは人事制度のアナウンスの中で相対的に目立たない形で実施されることが多く、現役社員の多くは自社の制度が過去10年でどう変わったかを正確に把握していないことがあります。

サーチの現場で観察されるのは、現職での退職時の受取額の想定が、本人の中で10年前の前提のまま固定されているケースです。若手時代に聞いた想定額、入社時のパンフレット、先輩世代の退職時の話——これらを基準にしたまま、制度改定の累積的な影響が反映されていないことが少なくありません。結果として、「現職を続ければ退職時にこれだけ受け取れる」という計算が、実際の受取額と乖離していく可能性があります。

この乖離が判断に及ぼす影響は二方向に働きます。現職に残る価値を過大評価している場合、動くべき機会を逃すことにつながります。逆に、退職金の実態を確認しないまま「どうせ大したことはない」と過小評価している場合、現職に残る経済価値を軽視することになります。いずれにしても、実態を知らないままの判断は精度を欠きます。

「移動ペナルティ」の実態

退職金制度は、多くの場合、在籍期間に対して非線形に価値が増大するように設計されています。15年から20年、20年から25年の間で、単位年数あたりの積み上がりが大きくなる設計が典型的です。この構造は、中途退職者にとっての「移動ペナルティ」として機能します。

エグゼクティブ層でこのペナルティを正確に評価できている候補者はそれほど多くありません。「次の会社の年収が現職より上がれば得」という名目の比較は容易ですが、「現職を今辞めた場合、退職金の積み上がり曲線のどの位置で切断することになるか」という計算は、制度の詳細を確認しないと難しいためです。

加えて、退職金は給与と税の扱いが異なるため、同じ金額でも手取りベースの価値は一致しません。名目額だけの比較は、実質のずれを含んだ判断になりがちです。

企業年金の「最低保証」の変化

確定拠出型年金への移行が進んだ企業では、従業員が自己責任で運用する形態が一般化しています。この変化は一見、選択肢の拡大のように見えますが、実質的には運用リスクの従業員への移転を意味しています。

確定給付型の時代には、勤続年数と最終給与が決まれば退職時の受取額が予測可能でした。確定拠出型の時代には、同じ条件でも運用成果によって受取額が変動します。さらに、退職金と年金の合計で見たときの「キャリア終盤の経済的安定性」は、以前ほど単純には計算できなくなっています。

この構造変化は、現役期の判断の前提を静かに変えています。「現職に留まれば終盤の経済は安定する」という過去の常識は、制度の変化により、少なくとも自動的には成立しなくなっているといえます。

自社の制度の「現在値」を確認する

最初の一歩として有効なのは、自社の退職金・企業年金制度の現在の内容を、改めて確認することです。人事部門が発行する制度説明資料、確定拠出型年金の口座残高、仮に現時点で退職した場合の支給額の試算——これらはほとんどの企業で従業員が確認できる情報です。

現役期の判断は、現職の給与と新機会の給与を比較することから始まることが多いものです。しかし比較の完全性を高めるには、それぞれの選択肢に含まれる後払い給与——退職金と企業年金——を含めた上で、現役期の総報酬の軌跡を描く必要があります。この作業を行った後に初めて、名目上の年収比較では見えなかった経済構造が、意思決定の材料として可視化されます。